ザ ミストラル
宇宙。そこには、数多の星が存在し、幾多の文明が栄え、そして滅びて行った……。一つの種族が生まれ、繁栄し、滅びるまでの時間は、ほんの一瞬の星の瞬きにも満たないだろう。が、それでも、その一瞬の興亡に凝縮された時間の密度の濃さは計り知れなかった。この物語は、そんな宇宙の中に生まれ、一瞬の煌きを放ち、風のように駆け抜けていった者たちへの讃歌である。
プロローグ
宇宙歴0469年。ついに母なる星の環境整備計画は整い、再び首都並びに大統領府が地球へと移設された。一時は、戦争という人類の愚かな行為により、致命的とも言われた環境破壊が進行し、もはや星としての再生は不可能かと懸念されたが、科学技術の発展と産官合同の努力によって、徹底的な管理の下、実に一世紀半という長い時間を要して、ようやく人が住めるまでに回復したのだ。結果、地球は再び海を、その美しいブルーを手に入れたのである。
「見れば見る程美しい星だ」
遠ざかる地球を見やりながら、ジンドリッド艦長は言った。
「出来る事なら、ずっとこんな星で暮らしてみたいね」
だが、そこに居住する事が認められるのはほんの一握りのエリートに限られていた。
彼らの船、『グリースゴッド』はこの銀河系のほとんどをシェアしている巨大企業、『ブライスゴットカンパニー』の私的護衛艦の1隻だった。主な任務は、輸送船の護衛。このところ、立て続けに起きている企業を狙った宇宙海賊に因る積荷の強奪事件が後を絶たず、企業は大金を投じて船の武装を強化したり、独自に護衛1千を付けたりして被害を最小限にするよう努めていた。企業が私的軍隊を持つ事や輸送船や商業船の武装に対して、銀河連邦としては決して快く思ってはいなかった。が、それに対して、いちいち連邦の正規軍を派遣するには人員も船も充分ではなかった。その為、利益のある大企業においては宇宙海賊に対しての対策は必然的に強化されて行った。が、それでも、その被害は年々増し続けていた。特に『ミストラル』を名乗る一味による略奪は大胆且つ華麗で、一切の証拠を残さないことでその名を轟かせていた。
「静かだな」
ジンドリッド艦長は呟いた。地球を出航してから既に2度のワープをし、遥か暗黒の宇宙を進む『グリースゴット』は、
「艦長! 救難信号です。輸送船『パラダイスゴット』より銀河標準時間07,46,24に発信されています」
「場所は?」
「F26宙域のB、惑星ガルシニオンの付近です」
「ガルシニオンか……」
それは、決して届かない距離ではなかった。だが、『グリースゴット』は今、特務を帯びて、ただ1隻で隠密行動をしている最中だった。常識としては、たとえどのような状況があろうと、救難信号を受けたら何をおいても救助に駆けつけなければならない。が、ジンドリッドは躊躇した。『パラダイスゴット』のデータを引き出すと素早く目を通す。
それは、『ブライスゴットカンパニー』の傘下であるF2172地区工場で生産された商品を各惑星へ輸送する貨物船だった。
「積荷はおもちゃ、生活物資の日用品、薬品、その他……か」
船は400メートル急貨物船。装備は威嚇用のビーム砲が2門とミサイル発射口が1つ。輸送船としては最もオーソドックスな型だった。船が救難信号を発する場合、その多くがエンジントラブルやワープ離脱時に起こる磁場の影響に因る機器トラブル、漂流物等、想定外の事故に因る機器の故障等、いずれにしてもそのような場合、発信された救難信号は銀河一帯に張り巡らされた通信タワーがキャッチして中央コンピュータへと伝えられ、近くを航行中の船、または軍や独自の惑星間救助隊が駆けつけるという仕組みになっている。即ち、『パラダイスゴット』から発信された信号は、既に中央コンピュータが把握しているという事だ。
「『パラダイスゴット』と連絡は取れるのか?」
艦長が訊いた。
「いえ。回線は全て閉じられています」
通信士が応える。
「それと……妨害電波が流れています」
「妨害電波だって?」
「はい。これは人為的に操作された……海賊……。艦長、これは、指名手配中の宇宙海賊、『ミストラルスター』号のパターンと一致します」
「何? あの『キャプテン ミストラル』か?」
「はい」
ブリッジの中が一瞬凍りついた。そして、数秒の沈黙の後、ジンドリッド艦長が言った。
「救出に向かおう。もう手遅れかもしれないが……」
乗組員達にとって、それは意外な命令だった。が、艦長は行けと指示する。
(たかが海賊と侮っていたが、何と鼻のいい。奴は何かを知っているのか?)
『パラダイスゴット』には、もう一つ、隠された任務があったのだ。もし、それを知って『ミストラル』が近づいたのなら、今後の対策全てを練り直さなければならなかった。それを確かめる為に、『グリースゴット』は、航路を逸れて暗黒の宇宙へと向かった。
第一章 Part T
「おれは、キャプテン ミストラル。貴船の積荷をいただく。速やかにエンジンを停止せよ。武装を解除し、降伏すれば命までは取らぬ。だが、抵抗すれば容赦はしない」
自信に満ちた声だった。メインスクリーンに映し出された男の映像は、しかし、誰もが想像していた伝説の海賊の姿とは随分違って見えた。
「あれが、宇宙を震え上がらせている伝説の男、『キャプテン ミストラル』だって?」
「信じられん。まだほんの若造じゃないか」
ブリッジの中は騒然となった。
「どうします? 艦長」
斜め後ろのボックスから通信士の男が問う。
「うむ」
『パラダイスゴット』の艦長クドーは考えた。スクリーンに映った黒髪の男は、どう見ても20才そこそこの若者だ。派手なバンダナを巻いた髪は長く、黒いスペースジャケットの左胸には緑のMの飾り文字と流星マーク。あれが百戦錬磨の宇宙海賊、伝説の『キャプテン ミストラル』だとは到底信じられなかった。もしかすると、その名を語る偽物かもしれないと艦長は考えた。このところ、使役や労働惑星の下層階級の若者達の間で『キャプテン ミストラル』に対する一種の信仰のようなものが芽生え、その名を語った犯罪も急激に増えていた。スクリーンに映るこの若者もそんな輩の一人なのかもしれない。クドーは、ただちに動力を停止させ、降伏すると通信士に送電させた。が、密かにミサイルの照準は前方に浮かぶ漆黒の船、『ミストラルスター』号にセットするよう攻撃手の男に指示した時だった。
「それって騙まし討ちじゃん。これだから大人のやる事は信じられねえんだよな」
いきなりブリッジの後方から声がした。振り向くと、そこには14、5才の縮れ毛の少年が目を真ん丸くして立っていた。
「き、貴様、何処から入って……!」
艦長が叫んだ。
「着艦された事がわからなかったなんて、我が艦のセキュリティは一体どうなっているんだ!」
「おじさん、あんまり怒鳴ると血圧が上がるよ」
少年がいたずらっぽい微笑を浮かべて言う。
「黙れ! 貴様も『ミストラル』の……いや、『ミストラル』の名を語る下層階級の危険分子の一人だな?」
「名を語るだって? バカ言うなよ、おっさん。おれ達、本家本元『キャプテン ミストラル』を頭にいただく宇宙最強の海賊チームさ」
「ふ、ふざけるな! このガキめ! ひっ捕らえろ! 早く奴を捕まえるんだ」
艦長は真っ赤になって怒鳴り、それぞれのシートに陣取っていた男達は慌ててシートベルトを外すと少年に襲い掛かった。
「あれ? おっちゃん、ポケットの中にエロ本なんか持っちゃって、だから、この船、簡単に忍び込めたんじゃないの? 動力機関士が勤務中にエロ本見ているような船じゃね」
少年はブリッジの中をヒョイヒョイ身軽に跳び回りながら、告げ口するように艦長を見て言った。
「何? 貴様、航海中にそんな物を見ていたのか?」
「あ、いえ、艦長、ブリッジで見ていたのではなく、これは個室で……」
機関士がしどろもどろに言い訳する。
「黙れ! 貴様は減給だ!」
「そんな……」
その光景を見て少年は笑ったが、副操縦士の男が脇から掴み掛かった。
「おっと! 危ねえ。おや、こっちのおっちゃんは銃なんか忍ばせちゃって、物騒だなあ」
と男の手を見つめる。もう少しでそこに入れようとしていた手を引き込めると異様な物でも見るように少年を見た。
「おまえは、能力者か?」
「だったらどうする?」
と笑っている少年に艦長が命じた。
「ええい! 撃て! 子供とて構わん」
一斉に男達が銃を構える。
「あれれ? いいのかよ? こんな所で発砲しちまって……」
「こいつは、人体にのみ作用する特殊レーザーだ」
醜悪な笑みを浮かべてクドーが指示する。
「目盛りは最大にしろ」
「し、しかし、艦長。相手はまだ子供ですよ」
通信士の男が進言した。が、クドーは譲らない。
「殺しても構わん。体制に逆らう虫けらのような奴らにはそれ相応の制裁を与えねばならん」
少年は呆れて首を竦めた。が、決して怯えてはいなかった。
「撃て!」
「あーら、野暮なお出迎えね」
突然現れた美女がウインクして言った。
「な……!」
あまりの事にトリガーに掛かっていた男達の指が萎える。
「そんな物騒な物は仕舞って、今夜はわたしといい夢見ない?」
「な、何だ? おまえは……」
赤い巻き毛はショートカットで、瞳はアンバー。ピッチリとした黒のスペースジャケットはプロポーションのいい彼女の体の線をバッチリ見せてくれている。形のいい胸の左に赤の飾り文字でMと記されていたが、そのやわらかな文字のラインが絶妙に胸の膨らみに掛かってセクシーである。
「ねえ、ステキな艦長さん。貨物室の秘密の鍵を教えてくれない?」
彼女の唇が物を言う度、男達は痺れるような感動を覚えた。
「あらら、坊やは彼女いない歴24年なの? でも、心配しないで。今夜はお姉さんが相手になってあげる。ねえ、いいでしょう? もしも、あなたがキイワードを教えてくれるなら……」
「は、はい。何でも言う事聞いちゃいます」
通信士の男はへなへなと崩れた。
「な、何て事だ。こんな女の幻覚に惑わされてたまるか!」
艦長が叫んだ。
「あら、こんな美しい女が幻覚の筈ないでしょう? これは現実……。さあ、こっちを向いて。まあ、クドー艦長、あなた、可哀想に……もう3年も奥さんから相手にしてもらえていないのね。赤ちゃんプレイに興じているところを奥さんに見られちゃったの? それは気の毒だったわねえ。でも、もう大丈夫でちゅよ。ここには誰もボクちゃんの事、バカにしたりするお友達はいまちぇんからねえ。さあ、お話してちょうだいね。秘密のお部屋の開け方を……」
男はトロンとした目つきで彼女を見つめる。
「わかりまちた」
艦長はデレッと緊張感のない顔で応えた。
「それは、SM69117で解除出来まちゅ」
艦長の言葉にブリッジの男達は思わず呆れ、軽蔑の視線で男を見た。
が、当の本人は何も気づかず、
「ちゃんと言いまちたから、ご褒美下しゃい」
などといやらしく手を伸ばして彼女に要求した。
「そうね。何が欲しいの?」
「ママのオッパイでちゅぅ」
「わかったわ」
と彼女は言うとポケットからそれを取り出し艦長を撃った。
「いい子ね。坊や。お眠りなさい。永遠にね」
小型レーザーとはいえ、至近距離からではたまらない。呆然としている男達もすぐに艦長の後を追う事になった。
「ひぇっ。いつもながらお見事な腕前。カティの催眠に掛かっちゃどんな強面の男でも形無しだね」
と口笛を吹いて少年が言う。
「催眠? 何言ってんのよ。わたしのあまりの美貌に口も利けないくらい感動してんのよ。あんたみたいな美的センスのないガキンチョには理解出来ないんでしょうけどね」
と高笑いする。
「チェッ! しょってら。男がみんな自分の言いなりになると思ってたら大間違いだぜ」
「少なくとも、あんたみたいな可愛気のないガキなんかこっちから願い下げ!」
「何を!」
と二人がいがみ合っていると、背後のスライドドアが開いて同じく黒のスペースジャケットに身を包んだ長身の男が入って来た。
「何をしている? キイはわかったのか?」
「バッチシよ」
カティがウインクする。
「そうそう。おれの知恵に掛かっちゃこいつらもてんでもろかったぜ」
「バリー! 何調子のいい事言ってんのよ。あんたなんか何の役にもたたなかったじゃない」
「うるせえ! カティなんかおっちゃんと赤ちゃんごっこなんかしちゃってたんだぜ。あー、キモ!」
「こっちだって何も好きでそんな事してたんじゃないわよ! あのクドーって艦長が変態だったんだからね。キイだってSM69117なんて変態っぽさが滲み出ててさ」
「わかった。積荷をいただいたらすぐにここを離れる。いいな?」
キャプテンはスタスタと通路を歩いて行った。
「ほら、みろ。叱られた」
とバリーが言った。
「あんたのせいよ」
とカティも言った。
と、そこへ突然、非常サイレンが鳴り響く。
「本艦は20分後に爆破します。自爆装置が作動しました。本艦は20分後に……」
「自爆だってさ」
「キャプテンが言ってた通りね。この船はただの輸送船じゃなかったのよ」
「そいじゃあ、おれ達も早いとこトンズラしようぜ」
「荷物をもらったらね」
二人は長い通路を駆けながら生き残りの乗組員がいないかと周囲に目を配った。バリーは閉まったドアの向こうを透視し、カティはテレパシーで人間の思考パターンをチェックする。
「どうやら誰もいないようね」
とカティが言った。
「ああ。ベッド以外の場所に転がってる奴は二人程いたけど、あとはオールラジャーさ」
バリーも言った。
「早くしろ。あと12分しかない」
先に倉庫に着いていたキャプテンが言った。
「積荷は?」
とカティ。
「船に運んだ。残りはこの箱だけだ」
「ヒューッ! さっすがキャプテン。やる事が素早い!」
とバリー。男は念動力者だった。しかも、そのレベルとしては最強クラス。彼は自分自身とその他の物を瞬時に別の空間に移動させる事が出来た。つまり、テレポート(瞬間移動)だ。対して、バリーは透視能力者、カティはテレパス(読心能力者)に過ぎなかった。先程、ブリッジの中に彼女達を送ったのは、キャプテンの能力に因るものだった。が、そのキャプテン ミストラルとて、複合能力者ではない。カティのように他人の心を読む事も出来ないし、バリーのようにドアの向こうを透かして覗き見る事も出来ない。彼らは皆、それぞれに一つの能力に特化したエスパー(超能力者)だった。それらを合わせて一つなのだ。バリーの能力で場所を探し、カティの能力で人を操作し、キャプテンの能力で人や物を運ぶ。普通なら、到底不可能な時間で積荷を別の宇宙船に運ぶ等という行為でさえ、キャプテンの能力を使えば僅か数分もかからずに移し換える事も可能なのだ。『ミストラル』の手際のよい仕事というのは、そうした彼らの能力に因るところが大きかった。
「行くぞ」
男が言った。
「あ、ちょっと待って!」
とバリーが言った。
「何だ?」
キャプテンが問う。
「フフ。まさかあんた、おしっこチビりそうってんじゃないでしょうね?」
とカティがからかう。
「ちがわい!」
バリーは言って、倉庫の中へ飛び込んだ。
「何だ? もう時間がないぞ」
キャプテンがついて来て言った。
「あの箱……」
バリーが開けるとそこには紙の本が詰まっていた。
「『ギャラクシーマガジン』の最新号だ」
と1冊持ち出す。男は、何だという顔をして通り過ぎようとしたが、脇の箱の蓋がずれて中味が見えた。それも本だった。キャプテンはさり気なく、上の1冊を取るとそれを持って通路に戻った。
「遅いわよ。爆発まであと10分!」
とカティが叫ぶ。
「充分だ。行くぞ」
言うと同時に彼の輪郭が揺らめいて、周囲の空間が歪んだ。そして、次の瞬間には誰もいなくなっていた。
爆発が起きていた。漆黒の闇に広がる細い閃光の矢。『パラダイスゴット』の最後の悲鳴を聞く者は誰もいなかった。『ミストラルスター』号は、もう、とうに絶対安全圏まで離脱している。そして、それと入れ替わるように駆けつけて来た『グリースゴット』もそこにあった筈の宇宙船の残存エネルギーをレーダーでキャッチするのみである。
「『パラダイスゴット』号の消滅を確認しました」
通信士の男が報告する。
「やはり、間に合わなかったか……」
『グリースゴット』の艦長であるジンドリッドは鎮痛な面持ちで呟くと、通信士の男に指示した。
「残念ながら、『パラダイスゴット』は、海賊『ミストラル』のミサイル攻撃に因り大破。積荷の物資の多くは彼らにより略奪されたものと思われる。そう中央コンピュータへ報告しろ」
「はい。しかし、事実確認をしなくてもよろしいのですか?」
若い通信士は素直な疑問をぶつける。
「状況から見て間違いないと思うがね。それとも、君は他の可能性でもあると言うのか?」
「いえ……」
男は黙ってレーダーを見た。もう何処にも『パラダイスゴット』の痕跡はない。残存エネルギーさえも感知しない。砕けた船体の破片も、積んでいた荷物や乗組員の遺体さえ、みんな闇の中へ吸われてしまった。通信士は中央コンピュータへと回線を繋いだ。
「報告します」
そして、船長から指示された通りの事を復唱すると艦長に尋ねた。
「それにしても、『キャプテン ミストラル』とは、どのような人物なのでしょうか? 何十人もの仲間と船団でも組織しているのですか?」
彼は、この任務に就いてまだ日が浅かった。宇宙暮らしにも慣れていない彼にとっては『ミストラル』の事は地上で聞く伝説の人物でしかなかったのだ。
「あの、すみません。まさか、実在しているなどと思わなかったものですから……その……」
その伝説の者に関わるなどと夢にも思わなかったと若者の顔には書いてあった。
「いいや。構わん。彼の正体については、私とて知りたいと思っている」
そうジンドリッドが言うと通信士は意外そうな顔をした。
「艦長もご存知ないのですか?」
「ああ。ぜひ1度直接、対時してみたいものだよ。伝説と言われる男とね」
艦長はじっと星のない暗黒だけが映し出されているスクリーンを見て言った。
(『キャプテン ミストラル』、宇宙を震撼させた男……狙った獲物は確実に仕留め、積荷を奪えば、乗組員ごとその船を爆破する残忍さ。見てみたい。その男の素顔を……)
スクリーンの中をスーッと何か流れて行った。回収してみると、それは、『パラダイスゴット』に積まれていた積荷の一部だった。表面はすっかり燃えてしまったくまの人形の中味の機械がガクガクと動いて『ハッピーバースデー』を一節だけ歌って沈黙した。その機械の中には金属製のカプセルに入った粉薬が埋め込まれている。それが、『パラダイスゴット』が担っていたもう一つの仕事の正体だった。
「始末しろ」
ジンドリッド艦長が指示する。回収された積荷と周辺を浮遊していた幾つかの破片を『グリースゴット』は全てビーム砲で破壊し、消滅させた。
「それでは、これからくまちゃんの開腹手術を始めまーす」
カティが電磁メスを片手に宣言した。
「ったくもう! カティは切れ味のいい刃物か銃さえ持ってりゃご機嫌なんだもんな」
とバリーがちゃかす。
「うっさいわね! あんたも切り刻まれたいの?」
とメスをかざす。
「おっと、危ない姉さんだな」
とヒョイと交わす。
「大体、何でおれんとこですんのさ?」
山済みにされたぬいぐるみを見てバリーが言った。
『ミストラルスター』号のメインブリッジには前面にキャプテンが座る主操縦席、そのすぐ右側に副操縦席、と言ってもここに陣取るカティの主たる役割は、操縦ではなく攻撃だ。ここでは、船に搭載しているあらゆる武器の操作や発射が自在にコントロール出来る。そして、主操縦席の後ろにある動力系統を管理する機関士のボックス席。そこがバリーの担当となっている。そして、もう一つ、副操縦席の後ろにあるのがレーダーと通信を行うボックス。が、これはコンピュータの管理下に置かれており、ここにあるのは予備シートだった。『ミストラルスター』号は、全長189.5メートルの垂直型外洋宇宙船で、このタイプとしては比較的小型の物だった。乗組員は通常4〜6人必要だが、一人でも操縦可能だ。搭載艇は2機。小回りの効く円盤型飛行艇とシャトル型が1機ずつだ。全ての機体は漆黒で細く入った銀のラインと流星に風を絡めたデザイン文字で『ミストラル』の船を表す『M』の文字が入っている。その動力コントロールボックスの上にくまのぬいぐるみが並べられ、カティがニコニコとメスを掲げているのだ。
「だからさ、やるなら、自分の席でやりゃあいいだろ?」
「だってここが1番手術台として適当なのよ。ねえ、キャプテン」
と主操縦席の男に問う。が、返事がない。
「呼んでも無駄だぜ。キャプテンは今、男になってますから……」
とバリーが言ってニヤニヤする。
「あー、ホーントだ。へえ、キャプテンってそういう女が好みなんだ。趣味ワルッ!」
とカティが首を竦める。
「あ! その水着の胸すごくいい! キャプテン、後でそれ、おれにも回して」
とバリーがボックス席の向こうから頭を出して言う。
「おまえらっ! 人のプライバシーを覗くな!」
男が振り向いて怒鳴った。
「そんじゃあ、ブリッジでエロ本見るのやめたら? エキサイティングな心、全部丸見えだし」
とカティが進言する。
「そうそう。全部見えちゃうんだもんな」
とバリーもニヤつく。
「うるさいっ! 何処で見ようとおまえ達は覗くだろうが」
「当然! 他人のプライバシーって楽しいもんね」
「そうそう。おれ、キャプテンに教わった事多いし。その点、感謝してんですよ」
二人はいいように能力を使って人生を楽しむ事に決めていた。
「フン。好きにしろ。それより、薬は取り出せたのか?」
「今5体目のお腹開いたとこよ。ったく。驚いたわ。こんなぬいぐるみの中にカモフラージュして密輸していたなんて……」
カティが取り出した小さなカプセルを摘んで言った。
「ホーント。おれ、キャプテンのこと誤解しちまったよ。まさか、箱の中からぬいぐるみが出て来るなんて思ってもみなかったからさ。ウチのキャプテン、どうかしちまったんじゃないかって、マジ心配したんだぜ」
「あんたが花束持ってる図よりはまっとうだと思うけど……」
とカティが笑う。
「うっせェ!」
と二人がもめる。が、いつもの事なのでキャプテンはまるで気にする様子はない。
「そんなら、カティにゃ『ギャラクシーマガジン』の最新号回してやんないからな」
「別にいいわよ。ちゃーんとデジタル版の年間購読申し込んでるんですからね」
「チェッチェッ! だったら、おれにも見せてくれたっていいじゃんか」
「やーよ。読みたかったら自分でお金払えば?」
「ヘーンだ! ケチ! そんなら、こっちはもっと高尚な本にするからいいよーだ。なあ、キャプテン」
すると、男はようやく立ち上がってこちらへ来た。
「どれ? 大分集まったな。これだけあれば、また、しばらくはいいだろう」
と掌いっぱいのカプセルを袋に収めて言った。
「また、何処かの惑星に寄るんですか?」
カティが訊いた。
「ああ。シヴェールへ行く」
「シヴェール? あの忘れられた寒冷の星に?」
「そうだ」
「一体何で?」
二人には、その意味が理解出来なかった。が、男は構わずさっさと出立の準備をすると、『ミストラルスター』号を惑星シヴェールへ向けて発進させた。
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